『きせき のぼるは小学5年生』第1章(後編)
※川合 仁美著書の『きせき のぼるは小学5年生』から一部抜粋記事です。
第1章 出会い(後編)

その「人」は、やさしくほほえんでいた。その「人」は女性だった。たぶん、お母さんと同じ年ぐらいか、少し若いぐらいだ。そして、きれいな洋服を着ていた。その服は、どこかの民族衣装にも見えた。色は白っぽくて、頭からベールのようなものをかぶっていた。長いきれいな黒い髪をしていた。そして、目は緑色だった。その緑色の目を見ていると、とてもあたたかい気持ちになってきた。彼女のやさしさが、その目から伝わってくる。まるで、小川のせせらぎのように。
「やっと、見えたみたいね。よかった」
今まで、のぼるがちゃんと見ていなかったことも、その「人」にはわかるようだった。
「わたしは、この神社のとうろうにいたの。のぼるくんが給食袋を振り回していたのも見ていたわ。そして、今日、とうろうにぶつかったことも。でもそのおかげで、こうやって、のぼるくんの前にいて、こうやって、お話しすることができた」
え? え? え?のぼるの頭の中には、「?」しかない。何を言っているんだろう? まったく、意味がわからない。
でも、その「人」のやさしさは伝わってきている。だから、のぼるには、わかっていた。彼女が言っていることは、真実であって、うそいつわりがないことも。
「そう、わたしが言っていることは、きっと、のぼるくんには理解するのに時間がかかると思う。それでもいいの。でも、こころはオープンにしておいて」
こころをオープンにする? どういうことだろう?
「わたしが言っていることを、うそだ、とか、ぼくをだましているんだ! とか、そんな考えにしばられないことよ。わたしが言っていることが、100パーセントわからなかったとしても、それでもいいの。ただ、そんなこともあるんだ、と受け
止められるように、聞いてほしいの。たとえば、かけるくんに、のぼるくんの言っていることを、『何を言っているんだ?』とはねのけられたでしょう?」
なんで、そんなことまで知っているんだ?
「ふふ、のぼるくんが見てきたもの、聞いてきたもの、感じてきたもの、経験してきたことすべて、知っているのよ」
どうやって?
「だんだん、わかってくるわ。かけるくんの話にもどるけれど、かけるくんが、のぼるくんの言っていることをまったく信じなくて、行ってしまったとき、どんな気持ちがした?」
いやだった。
「そう、いやだったよね。もっと言うと、不安になったのではないかな?」
なんで、わかるの?
「いいの。不安になっていいのよ。自分の言っていることを、まわりが信じてくれないと、不安になるのは、自然なことなの。そして、のぼるくんは、そのあと、何をしたのか覚えている?」
もちろんだ。たとえ、一年前に起きたことでも覚えているぞ。空気のことは、見まちがいだ、と言い聞かせてきたんだ。
「そうね。そして、実際に、その空気は見えなくなっていった。他の人が見えていないから。でも、それは、のぼるくんにあった能力を否定してしまったことになるの。そして、その能力がなくなったことで、のぼるくんの世界はせまくなったの」
たしかに、空気が見えなくなってから、のぼるは、実際に困ることもふえ、そして、ひとりぼっちの感じがどんどん強くなっていった。
「それは、孤独感ね。まわりに人がいても、いなくても、自分で自分を否定してしまうと、どんどんひとりぼっちになっていくのよ。孤独を感じるの。否定というのは、こんな自分はダメだ、とか、こんなこと思ってはいけない、とか、こんな感情を持ってはいけない、とか、そして自分なんていないほうがいいんだ、とか、自分で、自分のことをNOと言うこと」
そうか。この一年、とてもくるしかった。なんだか、だれもぼくのことを見てくれていない感じが強く強くあった。それは、まわりが悪いんだ、と思っていた。
「ちがうのよ。きびしいかもしれないけれど、のぼるくんは、自分で自分を見てあげていなかったの。だから、まわりも自分のことを見てくれていない感じがしたのね。そうやって、自分の世界が小さくなっていったのよ。あなたの、その空気が見えることは、能力なのよ。もっと自信を持っていいの。きっと、その能力は、のぼるくんの力になっていくから」
たしかに、あの空気が見えることで、のぼるは助けられることも多かったのだ。それは、のぼるに「ヒント」をあたえていた。
たとえば、お母さんがつかれていたとき、お母さんの頭のまわりには、グレーの空気がただよっていた。その空気を見て、お母さんはもう少し、眠ったほうがいいのではと思って、洗濯物を取り込んだり、食器を洗ったりした。今までそんなこと、自分からしたこともない。お母さんは、おどろいた顔をしていたけれど、とてもうれしそうだった。そして、一時間ぐらい昼寝をしに行った。起きたときには、そのグレーの空気はなくなっていた。すっきりした顔をしていたお母さんがいた。
「そう、あのとき、お母さんは休養が必要だったの。もし、あのお昼寝がなかったら、お母さんは、頭痛がして、そして、一週間ぐらい寝込んでいたのよ。他の人は気づかなかったでしょう?」
そういえば、あのとき、お父さんは、お母さんのつかれに気がついていなかったようだった。お母さんは、そういうことをかくすのだ。ガマンしてしまうのだ。
「さあ、話はこれぐらいにして、さっそく、旅にでてみましょう」
旅? ぼく、学校へ行かなくてもいいんだ! と思ったら、わくわくしてきた。
その「人」は少し笑った。
「ごめんなさい。のぼるくんは学校があまり好きではなかったわね。旅にでる、というのは、どこかへでかけるという意味ではないの。のぼるくんの『こころの』旅にでるのよ」
また、変なことを言っている。よく意味がわからない。
「さっきも伝えたとおり、今はまだ意味があまりわからなくてもいいのよ。ただ、これから、のぼるくんが学校へ行ったり、おうちにいたりするとき、いつでもわたしがそばにいるわ。そして、一緒に旅にでてみましょう」
やっぱり、「旅」の意味はよくわからなかったけれど、でも、これから一緒にいてくれるのは、とてもこころ強かった。
「あ、そうそう。わたしの名前は、ミシャよ」
「よろしく、ミシャ」
はじめて、のぼるは、声を口にだして言った。ミシャは、そんなのぼるを見て、やさしくほほえんだ。
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